2009年06月17日

紙を捻ったコヨリなどの細い物を管に通してヤニをとる

紙を捻ったコヨリなどの細い物を管に通してヤニをとる。煙管全体が金属製の場合は、ぬるま湯に浸けおくとふやけてくるので掃除がしやすい。 また、アルコールを流してヤニを取る方法もある。
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羅宇屋 [編集]
らう屋、またはらお屋とも読む。かつては、羅宇のヤニ取りやすげ替えを生業とする露天商があって、羅宇屋と呼ばれていた。小型のボイラーから出る蒸気で羅宇を掃除し、その際に鳴る「ピー」という笛にも似た音が特徴的であった。最後の羅宇屋は、浅草寺門前で営業していたが2000年頃に廃業した。が、ここ最近背負子スタイルの羅宇屋で復活している。

刻みタバコについて [編集]
刻みと呼ばれているが、紙巻きタバコの中身のように細かく刻まれたものではなく、干した葉を重ねて包丁もしくはカンナで糸のように細く切ったもの。世界のタバコ製品の中で最も加工度が低いものの一つで、タバコ葉本来の味が楽しめるとして熱心なファンが多い。専売制が実施される前は個人経営のタバコ店がそれぞれの刻みタバコを製造販売し、何千種類もあったが、専売制の下でマスプロ化が進んだことと、紙巻きタバコの消費増大で需要が減ったことで数銘柄からさらには1銘柄に減り、ついには国内での製造が打ち切られた。しかし日本の伝統文化として復活と存続を望む声が多かったため、タバコ農家に在来種の栽培再開を依頼し、1銘柄(『小粋』)ではあるが昔ながらの良質の刻みタバコが復活した。

煙管と文化 [編集]
多くの時代劇等で煙管は重要な小道具として登場することが多いが、16世紀以前の話に登場すれば全くの嘘であり、16世紀以後でも喫煙人口の少ない古い時代に庶民が立派な煙管を持っているのもおかしい。また武家や商家などでは、贅沢の禁止と防火の意味から使用人には喫煙を禁止することもあり、誰もが煙草入れをぶら下げていたわけではない。

武士の場合はステータスシンボルと同時に自分の志の表現として、特別に自分の好みを施した煙管を注文したりした。明治維新後に刀の携帯が禁止されたので、護身用にと鉄扇ないし重量のある鉄の煙管を持ち歩く武士達もいた。

江戸時代においては、多くの場合に大店の番頭や主人等が自分にあった道具をあつらえたりと、嗜好の世界というより一種のファッションやステータスシンボルであった。また、煙草入や煙管筒に流行もあったといわれる。この中では根付のような関係する工芸文化も存在し、この根付は明治時代の交易に関連して海を越え、イギリスにまで愛好者を増やした。ロンドンのビクトリアアンドアルバート美術館には、この根付コレクションの展示室も存在する。

江戸時代の吉原等の大見世(上等な女郎屋)の太夫(上等の遊女)などの間では、位が上ると帯の幅が広くなり、それに合せてその帯にさす、煙管の赤塗りの羅宇も長くするしきたりがあり、煙管の長さで女郎の格をはかることができた。

遊女は気に入った客に煙管を差し出し、客が受け取るとその遊女を気に入ったということになる。歌舞伎『助六由縁江戸桜』のせりふにある「煙管の雨」とは、助六の男っぷりを暗に示す。

時代劇およびここから派生した時代物の劇画では、登場人物のヤクザや武士等が咥えタバコを動かしたり、煙草盆に叩き付ける仕草をする。特にヤクザ映画等では、煙管を口にくわえたまま振ったりと、親分の意思表示の小道具に使用される。例えば、加えたままの煙管の雁首を上げることは、強くかみ下唇を突き出す怒りや不快感の表情を強調するなどであるが、この他にもタバコ盆に強く叩き付ける(灰を捨てる)動作で、休息を取りやめ行動に移るなど、気持ちの切り替えを表す。またこれ以外にも身近な棒状の道具として、手に持ったりくわえたりした煙管を振るなどの動作で配下に対して、指示棒のように指示を出したりした。

2009年05月31日

秀頼は大坂城に留まり摂津・河内・和泉

1603年(慶長18年)に徳川幕府が成立した後も、秀頼は大坂城に留まり摂津・河内・和泉を支配していたが、1614年(慶長19年)の大坂冬の陣で家康によって構成された大軍に攻められ、篭城戦を行った。そして、その講和に際して惣構・三の丸・二の丸の破却が取り決められ、大坂城は内堀と本丸のみを残す裸城にされてしまう。秀頼は堀の再建を試みたために講和条件破棄とみなされ、冬の陣から4か月後の1615年(慶長20年)、大坂夏の陣で大坂城は落城し、豊臣氏は滅亡した。

落城に際して灰燼に帰した大坂城は初め家康の外孫松平忠明に与えられたが、1619年(元和5年)に幕府直轄領(天領)に編入された。翌1620年(元和5年)から2代将軍徳川秀忠によって大坂城の再建が始められ、3期にわたる工事を経て1629年(寛永6年)に完成した。

徳川氏の大坂城は豊臣氏の大坂城の石垣と堀を破却して、全体に高さ約1メートルから10メートルのの盛り土をした上により高く石垣を積んだので、豊臣大坂城の遺構は地中に埋もれた。また、天守など建物も構造を踏襲せずに造り変えられた。
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徳川氏の大坂城は、城郭の広さは豊臣時代の4分の1の規模になったが、天守は豊臣氏のものとは位置も変え、総床面積から高さまで豊臣氏の天守を越えるものが上げられた。大坂城をより豪壮な城郭として全く新しく築くことで、豊臣氏の記憶を封じ込め、かつての豊臣氏の勢威を凌駕する徳川氏の威信を日本全国に示そうとしたものといわれている。

幕府直轄の城である徳川大坂城の城主は徳川将軍家の歴代将軍自身であり、譜代大名から選ばれる大坂城代が預かり、2名の大坂定番と4名の大坂加番が警備を担当した。江戸時代にはたびたび火災による損傷と修復を繰り返した。特に1665年(寛文5年)には落雷によって天守を焼失し、以後は天守を持たない城であった。

江戸末期、慶応3年12月9日(1868年1月3日)に発せられた王政復古の大号令の後、江戸城から追われた前将軍徳川慶喜が大坂城に移り、居城していたが、慶応4年1月3日(1868年1月27日)、旧幕府軍の鳥羽・伏見の戦いでの敗北によって慶喜は船で江戸へ退却し、大坂城は新政府軍に開け渡された。この前後の混乱のうちに出火し、城内の建造物のほとんどが焼失した。

2009年04月27日

ラグランジュ点

ラグランジュ点(ラグランジュてん、英語:Lagrangian point、ラグランジュポイント、L点とも)とは、天体力学で円制限三体問題の5つの平衡解を指す名称である。すなわち、2つの物体が両者の共通重心の周りをそれぞれ円軌道を描いて回っている時に、この2体に比べて質量が無視できるほど小さな第三の物体をある速度を与えてこの軌道面内に置くと、最初の2体との相対位置を変えずに回り続けられるような位置が5つ存在する。2体の共通重心を中心としてこれらと同じ周期で回転する座標系から見ると、ラグランジュ点では2体が作る重力場が遠心力と釣り合っている。このために第三の物体は2体に対して不動のままでいることができる。各点はL1?L5という名称で呼ばれる(図参照)。

1760年頃、レオンハルト・オイラーが制限三体問題の解として、主星と従星を結ぶ直線上にあるL1からL3までの解(オイラーの直線解)を発見した。その後、ジョゼフ=ルイ・ラグランジュが1772年に "Essai sur le problème des trois corps" (『三体問題に関するエッセイ』)という論文を発表し、オイラーの解は一般の三体問題の場合にも成り立つこと、主星・従星を一辺とする正三角形の頂点 (L4, L5) も解であることを示した。この業績によってラグランジュとオイラーはこの年のフランス科学アカデミー賞を共同受賞した。

L1は質量M1とM2の2物体を結ぶ直線上で2体の間に存在する。

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例: 普通、地球よりも太陽に近い軌道を回る物体は地球よりも短い公転周期を持つが、これは地球から重力で引かれる効果を無視した場合の話である。物体がちょうど地球と太陽の間にあると、地球の重力の効果によって、物体が太陽に引かれる力は弱められる。物体が地球に近ければ近いほどこの効果は大きい。この効果によって L1 では物体の公転周期が地球の公転周期とちょうど等しくなっている。

太陽-地球系の L1 は太陽の観測を行うのに理想的な場所である。この位置にある物体は決して地球や月に遮られることがないからである。太陽・太陽圏観測衛星 (SOHO: Solar and Heliospheric Observatory) はL1の周りのハロー軌道に位置している。地球-月系のL1は最小限の軌道変更で月軌道や地球軌道へ入ることができるため、荷物や人員を月へ行き来させるための中間有人宇宙ステーションの場所として理想的である。

2009年04月11日

星間物質

星間物質(せいかんぶっしつ)は、恒星間の宇宙空間に分布する希薄物質の総称である。密度では、地球の上層大気よりも遙かに希薄であるが、地上からもしばしば星雲として観測される。大量の星間物質が凝縮して、星を構成する材料にもなる。

概要 [編集]
星間物質は、気体の星間ガスと、固体の細かい塵である星間塵(宇宙塵)に分けられる。前者は主に水素やヘリウムなどの軽い気体、後者は珪素や炭素、鉄、マグネシウムなどから成る微粒子である。存在比でいうと星間ガスの方が多い。一部の星間物質が濃密に凝集して星雲・分子雲を形成することがあるが、大部分は可視光では観測不能で、赤外線や電波の放射によって観測される。

星間物質の平均密度は、1立方センチあたり水素原子が一個から数個程度であり、地上の実験室で達成できる真空状態を遙かにしのぐ超高度真空状態であるが、極めて低い密度ながらこうした物質が全体に存在しており、分子雲などではより密度が高くなっている。とくに銀河において、中心核(バルジ)やそれを取り巻く円盤部分、そして銀河全体を包み込む球状のハロなどには大量に分布している。星間物質の総量は、銀河系に属する恒星の総質量の約10%を占めると推定されている。

SFにおいては、未来の恒星間宇宙船が超高速で宇宙を飛ぶ時に、星間物質がちょうど空気抵抗と同じように無視しえない抵抗となって、宇宙船が破壊されかねないため亜光速で飛ぶことは不可能になるとも指摘されているが、これを逆にエネルギー源とするアイデアも出されている。1960年にロバート・バサードが磁場によってこのような星間物質を集め、燃料にする恒星間ラムジェットエンジンは可能であると発表したため、この種の星間物質を利用したラムジェットエンジンは「バサード式ラムジェット」と呼ばれる。

三相モデル [編集]
1969年にフィールド (Field)、ゴールドスミス (Goldsmith) とハビング (Habing) がそれまでに観測された星間空間の性質を説明するために"二相モデル"というものを提案した。このモデルでは星間空間は、ほとんどが中性の(イオン化されていない)水素分子によって構成され、低温 (300 K以下) で密度が高い分子雲相と、中性かもしくは電離されたガスで構成される、比較的高温 (およそ1000 K) の希薄な分子雲間ガス相に分けられる。1977年にマッキー (McKee) とオストライカー(Ostriker) はさらに超新星爆発によって発生した衝撃波によって温められた超高温(およそ1,000,000 K)な相を加えた。この相は星間空間の体積の大半を占めている。彼らの論文はここ25年以上に及ぶこれらの研究の基礎についても言及されている。しかしながら、これらの相の分類やその比率については天文学者の間で現在も議論がなされている。

ワンド エリア ショール 二十世紀 スタス テーブ アニマロジ マクロレ オイスタ ライスワン キック フィー カウツギ バンダナ ディージ オクラ テランセラ タヒボ リーフ 夜汽車 カウチ ふたり星 ユリ最適 時空ド ミリタリー サギソウ トライプ ドーベ メリル プレタク チューブ カムカエ ラッター ソーサー ラクト バック 朝日が昇る ジプサム フェロモア ション デュアル ウォマ フラッシュ ルコア サイホン シンク タイガ デキャンタ ディスコン テーピング

2009年03月27日

ゴート族の勢力確立

チェルニャコフ文化は、4世紀のカルパティア山脈東部から黒海北方において見られる文化である。墓地からヴィェルバルク文化で発見されたものとほとんど同じ装飾品が出土しており、火葬と土葬が併存していることや副葬品に武器が見当たらないことなども共通する。チェルニャコフ文化はヴィェルバルク文化から若干変化して成立したと考えられ、これはその文化の担い手がローマやギリシアの文化に影響を受けたため、とするのが説明しやすい。 ただし、ヴィェルバルク文化の担い手全てが一群となって黒海まで移動したわけではなく、あくまで黒海沿岸部まで移動してきたグループのみが、そのように文化を変質させたらしい。
チェルニャコフ文化は農耕に専念していたようだが、黒海北方はかつてギリシア人の穀倉地帯であったことからもわかるように、肥沃な土地であった。良質な陶器が作成されており、ローマ帝国と大規模な商取引も行っていた。遺跡からは、ローマの貨幣が大量に見つかることもあるうえ、ローマから輸入された品も見つかっている。チェルニャコフ文化もゴート族固有のものではないと考えられるが、少なくともゴート族はその中でも際だった存在だったことは確実で、ローマ帝国に近い西部では、ギリシア文字とラテン文字に影響を受けて独自のルーン文字(ゴート語)を完成させ、340年頃には司教ウルフィラによってゴート語訳聖書が著されている。

ヨルダネスによれば、カルパティア山脈からドン川に至る南ロシア一帯に居留したゴート族は、エルマナリク王の代に王国を築いた。エルマナリクは、後に東ゴート王国を興すアマル家の祖と言われているが、この当時のゴート族の王国については、記録が少ないために判然としない。ただ、ローマ帝国のような国家機構があったわけでも、国境というものの意識もなかったようである。ヨルダネスによれば、このときすでにドニエストル川からドン川の平原を占有していたグルツンギ・アウストロゴティとカルパティア山脈からドニエプル川一帯にかけて居留したテルヴィンギ・ウィシゴティに分裂していたことが伺える。それぞれ東ゴート族、西ゴート族とされるが、これらが直接的に後の東ゴート王国、西ゴート王国を打ち立てたグループに分かれたわけではないようである。例えば、詩人クラウディアヌスはフリギアに侵入したゴート族について、「グルツンギを含んだ東ゴート族」と説明し、グルツンギと東ゴート族をはっきり違うものと認識している。
4世紀までに確認されるゴート族は、西ゴート系として3グループ[8]、東ゴート系として2グループ[9]、所属不明なものとして7グループ[10]、つまり12の勢力が確認される。
このうちテルヴィンギ・ウィシゴティとして2つのグループが糾合し、その他の他はグルツンギ・アウストロゴティとして、ゴート族以外の民族も含め、エルマナリクを王とするゆる連合勢力を形成していたと考えられる。ただし、エルマナリクは、ヨルダネスが述べているような全ゴート族の王、というわけではない。考古学的には、チャルニャコフ文化には、少なくとも6つの大きな集落が発掘されており、それぞれに王ないしはそれに近い権力者がいたと考えられる。エルマナリクはその幾つかの集団の中で特に強力な人物であったか、あるいは実際にかなりの集団を制していたのかも知れない。

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2009年03月12日

フェラーラ (Ferrara)

フェラーラ (Ferrara) は、人口約13万人のイタリア共和国エミリア=ロマーニャ州の街で、フェラーラ県の県都である。

ポー川の支流ヴォラーノ川流域にあるフェラーラは14世紀、エステ家によって整備された。ルネサンス期に文化の中心地の一つとして栄えたが、エステ家は1598年、フェラーラから追放され、フェラーラは教皇領に編入される。

現在エステ城が一般に公開されている。また1995年にはフェラーラのルネサンス期の市街とポー川デルタ地帯が世界文化遺産に登録されている。

フェラーラの発祥は定かでない。一部が支持する古代のフォルム・アリエニ(Forum Alieni)の場所を占めていないようだ。おそらくポー川河口の潟の住民らが移住してきたものだろう。そこには2つの初期定住地があった。一つには聖堂があった[1]。もう一つはカストルム・ビザンティノ(castrum bizantino)といい、対岸のサン・ピエトロ地区になった。フェラーラが最初に記録に現れるのは、7世紀にラヴェンナ総督府の一部となってからである。8世紀にはカール大帝に征服され教皇国家の一部となった。984年にはカノッサ・モデナ伯のテダルド・ディ・カノッサ(マティルデ・ディ・カノッサの祖父)に封された。のちには自治都市となり、1101年にはマティルデ・ディ・カノッサ軍に包囲されている。この時、主に数家ある豪族(アデラルディ家など)に支配されていた。

エステ家
1146年、アデラルディ家最後の主グリエルモ2世アデラルディが死ぬと、その財産は姪マルケセッラの夫オビッツォ1世デステへと継承された。その後、新たに入ってきたエステ家と地元貴族らの軋轢が表面化する。オビッツォ2世デステが1264年に民衆の支持を得て、フェラーラを正式に自身のシニョリーアとした。1289年にはモデナのシニョーリに選ばれ、翌1290年にはレッジョ領主にもなった。

1393年にフェラーラ侯となったニッコロ3世デステはローマ教皇に重用された。特にエウゲニウス4世はフェラーラで公会議を開催した。ニッコロ3世の子ボルソ・デステは1452年に、神聖ローマ皇帝フリードリヒ3世は、帝国封土としてボルソをモデナとレッジョの公とした。1471年、ボルソは教皇パウルス2世によってフェラーラ公とされ、フェラーラ公国が成立した。エルコレ1世・デステはヴェネツィア共和国との戦いに参加し、フェラーラをさらに繁栄させた。エルコレ1世は、メディチ家以後の15世紀後半から16世紀前半にかけての芸術後援者の一人であり、フェラーラは特に音楽で名声高い文化都市となった。フェラーラへヨーロッパ各国から音楽家が集まってきた。ジョスカン・デ・プレは宮廷で働き、ヤーコプ・オブレヒトは2度フェラーラを訪問した。アントワーヌ・ブリュメルは1505年以後、宮廷第一の音楽家であった。エルコレ1世の子アルフォンソ1世・デステも同様に音楽家を保護した。彼は器楽曲を好んだので、フェラーラではリュートが盛んになった。

アルフォンソ1世はボルジア家のルクレツィアを妻に迎え、ヴェネツィアとの戦いを続行しこれに勝利した。1509年に彼は教皇ユリウス2世から破門されるが、1512年にラヴェンナ包囲戦に勝利している。エルコレ2世・デステはフランス王女ルネと結婚、彼の時代もさらに繁栄が続いた。

1559年に公位についたアルフォンソ2世・デステは、トルクアート・タッソ、哲学者チェーザレ・クレモニーニの後援者として知られる。彼はフェラーラの地位を最高に高めた人物であったが、3度の結婚で嫡子を残すことができず、1597年に教皇クレメンス8世によってコマッキオと同様に後継者不在の封土を返還要求されることになる。庶系のフェラーラ公チェーザレ・デステを教皇と皇帝ルドルフ2世は認めず、1598年にフェラーラ公国は教皇領となった。

1796年フランスに占領され、チスパダーナ共和国の一部となり、翌年にはチザルピーナ共和国となった。フランス撤退後は教皇領に戻り、1859年にサルデーニャ王国に併合された。
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フェラーラは現在も、15世紀から16世紀にかけつくられた9km以上の市壁に囲まれている。歴史地区(特に、15世紀にエルコレ1世・デステが建設させた北地区)には、初期ルネサンス様式のテラコッタ装飾が施された宮殿・邸宅が多い。

エステンセ城(en:Castello Estense) - 市中心部にある城。堀に囲まれた、4つの塔を持つ煉瓦の建物。1385年から建てられ、16世紀に補修された。
サン・ジョルジョ大聖堂(it:Cattedrale di San Giorgio (Ferrara)) - フェラーラ大聖堂とも。12世紀に建てられたロマネスク様式の聖堂。コムナーレ宮殿とエステンセ城の近くにある。
スキファノイア宮殿(en:Palazzo Schifanoia) - アルベルト・デステが建てた14世紀の宮殿。エステ家がフェラーラを離れてから、所有者が幾度か変わり、オーストリア帝国軍の兵舎やタバコ工場にされたこともある。20世紀に入ってコムーネの所有となり、現在は美術館となっている。
ムニチパーレ宮殿(it:Palazzo Municipale (Ferrara)) - 13世紀にエステ家が建てた。低階部分はロマネスク様式。内部は、18世紀にバロック様式で修繕された。ルネサンス様式のカンパニエーレは15世紀に加えられたもの。
コルプス・ドミニ修道院(it:Monastero del Corpus Domini) - エステ家の菩提寺。エルコレ1世・デステ、アルフォンソ1世・デステ、ルクレツィア・ボルジアの墓がある。
ディアマンティ宮殿(en:Palazzo dei Diamanti) - エルコレ1世の弟シギスムンドによって15世紀後半から建てられた。8500個の白大理石をダイアモンドに見立てたことから、この名がついた。現在はフェラーラ国立美術館が入っており、フェラーラ派の絵画を多く所蔵している。
フェラーラ大学(en:University of Ferrara) - 創立は1391年3月4日と歴史ある大学。教皇ボニファティウス9世の認可を得てアルベルト・デステがつくった。最初は法学、芸術、神学の3コースのみだった。コペルニクス、ジローラモ・サヴォナローラが学んだ。現在8学部を持つ。
シナゴーグとユダヤ博物館 - サン・ジョルジョ大聖堂とエステンセ城近くにある。この建物が建つ部分は、1627年から1859年までゲットーの一部であった。
代表(Sindaco) : Gaetano Sateriale(2004年6月14日選出)
コムーネの代表電話 : 0532 419111
コムーネのe-mail アドレス : urp@comune.fe.it
気候区分: zona E, 2326 GR/G

2009年02月23日

神の十賢者

遥か昔、銀河系を平和に統治していた惑星ネーデの科学力を悪用し、銀河征服を目論んだ犯罪者。鎮圧後、「エタニティスペース」と呼ばれる時間が停止した空間に封印され宇宙に放逐された。そして彼らのことを教訓として、自分達の科学力を抑制し、世界に悪影響を与えないためにエナジーネーデと呼ばれる人工惑星にネーデ人は移住することになった。
キーワ マラガ エンドロ せきがく ゆずりは シリアス パンパ ミント 春紫苑 ヒッピ マスタ ビューロ シーア ネーム たこあし スミス ビリティ ニッパー パンチ メチエ マフラー ガビアル きがん デュープ ナップ キーポイ うぐい ラティーノ テキスト キミと僕 サイトリー バーミュ マティ たいこう トトス フォーク ジンキケロ バランス フラッペ ルネサ シンシティ メリット トーン ファントム ジャングル エレジー タンク タール 光夜宴 プルーフ

エナジーネーデの公式記録にはこのように記されているが、真実はネーデが作り出した強力な紋章力を宿した生体軍事兵器。作られた当初の目的はネーデを守護するための反乱鎮圧用兵器であったが、プロジェクト責任者であり十賢者の生みの親であるランティス博士の娘・フィリアの死によって歯車は狂い始め、博士により目的をネーデの守護から全宇宙の破壊へと変更され、崩壊紋章による全宇宙の破壊を目論む。公式記録の通り、反乱(暴走)はネーデ軍に追い詰められた彼らが「エタニティスペース」内にランティスの手により封印(この場合は避難)されることで決着を見たが、遥かな時を経て、何らかの原因でその封印は解除されている。また、ネーデ人がエナジーネーデに移住することになったのも、この事件により、正規軍の半分以上が壊滅したことで、統治惑星が続々反乱を起こし、それから逃れるためである。

十賢者はその存在自体がかつてのネーデの科学力の結晶であり、地球や銀河連邦加盟の惑星の一般的な科学力レベルではその体に傷を付けることすら出来ない。唯一、反物質を用いた武器でのみ物理的なダメージを与えることが可能だが、反物質を空間に安定させる技術は比較的技術レベルが高い地球出身のクロードをして「物理的に不可能」と断言させるほどのものであり、エナジーネーデにおいても(実用目的の)武器の製造が禁止されて久しいためロストテクノロジーになりつつあった。

なお名称はアブラハムの宗教における天使に由来する。

ガブリエル<最終破壊兵器>
声優:佐藤正治 / 小山力也
十賢者のリーダーであり、十賢者最強の素体。四属性最強紋章術を使いこなし、「神曲」などの全体攻撃を放つ。かつての十賢者の反乱のときは未完成だったが、自殺する前にランティスが自らの思考ルーチンと彼の娘であるフィリアの思考ルーチンを別途組み込んだ。それゆえに複数の意識(ガブリエル、ランティス、フィリア)が存在する。フィリアの思考ルーチンはリミッターの役目をしており、本来の戦闘力が押さえ込まれている。このリミッターを取り除いた「真・ガブリエル(攻略本のみの名称)」になったときの強さ通常のガブリエルとは比べ物にならないほど強い(後述のイセリア・クイーンに匹敵するほど)。
ルシフェル<十賢者監視用素体>
声優:小林顕作 / 三木眞一郎
反乱抑止の因子を担うガブリエルの参謀。「亡びの風」を代表とする風・雷・闇属性の攻撃を得意とする。ちなみに名前のluciferのラテン語での原意は「光を導く者」となっている。彼との戦闘曲である「The Incarnation of Devil」は後のトライエース作品にも使用されるなど、屈指の人気を誇る名曲。名前はルキフェル(サタン)に由来し、性格やシナリオ上の役割にも影響が見られる。「亡びの風」使用時に喋るセリフが、使用頻度はそんなに低くない割にやたらと長いことでも有名。
ミカエル<戦術兵器>
声優:東地宏樹 / 同左
メタトロン、ジョフィエル、ザフィケルを統括、自らも兵器として戦闘可能な素体。戦闘において連発する、強力な火炎系攻撃「スピキュール」の圧倒的な性能と、発動時の掛け声「うぉ〜、あっち〜!」はその強烈なインパクトからプレイヤーの度肝を抜いた。
ハニエル<民衆統轄素体>
声優:小林顕作 / 楠大典
ラファエル、カマエル、サディケルを統括、情報分析と民衆の反乱を防ぐ。腕部のマルチランチャーから放たれる「マインドブラスト」は脅威の破壊力で、ミカエルと共にプレイヤーを苦しめた。
サディケル<情報収集用素体>
声優: - / 矢澤喜代美
若い男性(攻略本では少年とされている)の姿をした素体。音叉状の武器から放つ波動攻撃を得意とする。
カマエル<情報収集用素体>
声優: - / 武虎
老人の姿をした素体。強力な紋章術を得意とする。
ラファエル<情報分析用素体>
声優: - / 佐藤晴男
マントを羽織った異形の素体。ほとんど、寡黙である。体内に超空間を持ち、それを利用した吸い込み攻撃を得意とする。まれに雷系の紋章術を使用。
ザフィケル<近接戦闘兵器>
声優: - / 間宮康弘
身の丈ほどの大剣を振るう巨漢の戦士の姿をした素体。「クルーアリーラッシュ」「イニシャルスレイ」などの剣技を放ってくる。
ジョフィエル<遠隔射撃兵器>
声優: - / 北沢力
痩せた異形の身体を持つ素体で、そのセリフに平仮名はいっさいなく、漢字とカタカナのみで構成される。高エネルギー弾を体内で生成し、発射する能力を持つ。また、高い機動力を活かした格闘戦も得意とする。
メタトロン<拠点防衛用特殊兵器>
声優: - / 浜田賢二
全身を強固な鎧で包んだ騎士のような素体。絶対防御シールド「メタガード」とカウンター技「メタキャンセル」を持ち、防衛任務に秀でている。

魔物
シン
ラクール前線基地に対して攻撃を行う魔物達のリーダー(といっても上下関係があるのかは不明)。彼とは3回戦うのだが最初の2回は半無敵状態でいるために通常の方法ではどうあがいても倒すことができない(いちおう、体力を強制的に半減させるハーフデッドボムなどを湯水の如く使うことで勝つことは可能だが、シナリオは負けたときと同じように進む)。十賢者の(エクスペルでの)直属の部下に当たる立場であり、魔物の軍勢を一度撃退したラクールホープ対策として、十賢者より航宙艦に使われる電磁シールドを持たされ、これによってラクールホープを防ぐ。レナ編では謎の力によりシンが独力でラクールホープを弾いたようにしか見えないが、クロード編ではクロードが航宙艦シールドの技術を利用していることを見抜いている。

その他のキャラクター
フィリア
声優:笠原留美 / 佐藤利奈
ランティスの愛娘。十賢者防衛計画に反対する反乱軍のテロに巻き込まれ死亡したが、ランティスによって思考ルーチンがガブリエルに組み込まれ、その後はガブリエルの思考ルーチンとして生き続けることになる。
現代のクリクで予言者として登場する。ここでの出会いは真実の解明に重要な役割を果たすことになる。また、クリクで登場する彼女からはあるレアアイテムが盗めるが、ゲーム開始時の初期タレントに必要なタレントがなければ失敗する確率が高い(そのタレントを開花させるための特技がその時点では実行できないため)。
ガブリエ・セレスタ
隠しダンジョン「試練の洞窟」のボス。前作では、同じデザインの「ガブリエル」という敵が、隠しボスとして登場する。本作における外見は少女のようだが男性寄りの人格らしい。
イセリア・クイーン
ガブリエ・セレスタの分身。ガブリエ・セレスタと違いボスとしてではなく特技の音楽で出現する。最大レベル、最強武装でも即死することがあり、その強さはもはや狂気の沙汰。あらかじめ対策をしておかなければまともに勝つことは非常に難しい。まともに戦えば5分以上はかかるが、あるアイテムのバグを利用すると10秒未満で倒せる。
なお、ガブリエとイセリアの2人は今作以降のトライエース作品恒例の隠しボスとなった。
ラドル
港町ハーリーを目指す旅人。本シリーズでは、お馴染みの存在。なお「彼の方向オンチはもはや芸術の域にある」が、根気よくハーリーへ誘導すると素敵なプレゼントが待っている。
パフィ
本編に何度か登場する少女。クロードたちに「2年前の恨み!」と言って勝負を吹っかけてくる。この少女の言う「2年前の恨み」とは、前作のあるミニイベントに関係しており、前作でそのミニイベントを最後までこなしていないと少々理解しにくい。『SO3』にも登場し、クリエイターとして登場する。
ロニキス・J・ケニー
声優: - / 浜田賢二
クロードの父親。

作中用語
エナジーストーン
ラクール紋章兵器研究所の調査隊によって発見された鉱石。クォドラティック・スフィアを起動する際、必要となるクォドラティック・キーの原材料となる物質。
クォドラティック・キー
エナジーストーンを極限まで高純度化した物。ある種のエネルギーを増幅させる性質があり、クォドラティック・スフィアと組み合わせることによって反物質反応を超えるエネルギーを発生させることができる。また、これの材料であるエナジーストーンには生物の肉体や精神に悪影響を与える効果がある。
クォドラティック・スフィア
紋章科学の粋を集めて作られた物質で、クォドラティック・キーと組み合わせることによって反物質反応を超えるエネルギーを発生させることができる。必ずクォドラティック・キーとセットで生成され、作り出されたときに対であったキーとしか組み合わせることは出来ない。
ソーサリーグローブ
惑星エクスペルに落下した巨大な物体。中心部に巨大なクォドラティック・スフィアがあり、惑星の軌道をずらせるほどの膨大なエネルギーを秘めている。しかし、落下時に対応するクォドラティック・キーが行方不明になり、鎮静状態にある。
航宙艦シールド
銀河連邦の一般的な航宙艦に使われているシールド技術。強力な電磁波により、任意の場所にエネルギーを与えることで、反重力によるフィールドや物理的な力場を発生させる。基本的に無色透明だが、攻撃を受ける瞬間は薄く発光するためガラスのようにやや視認が可能である。シールドの防御力を上回らない出力のものを逸らして回避することが出来る(打ち消して中和するわけではない)。シールドの防御力を上回る攻撃を受けると、攻撃を受けた箇所から融解するような形で穴が開いていく。作中には実弾兵器に対してシールドを使用した描写が無いが、公式設定によると実弾兵器を含めてほとんど何でも防げるらしい。
展開するサイズもかなり融通が利き、戦艦を丸ごと覆い隠すサイズから、人間一人を覆うだけのサイズまで可能(作中では個人サイズのシールドを展開したのはシンだけであり、専用の装置によるものなのか、紋章術を利用したものなのかは不明)。
防護フィールド(仮称)
十賢者が身体の表面に張り巡らせているフィールド。絶対的な防御力を誇り、通常の物質を利用した武器では実弾・非実弾問わず全く干渉できない(そのため、作中ではクロード・レナ達は十賢者にかすり傷一つ付けられずに一度敗北した)。
反物質フィールド
上記の十賢者の防護フィールドを突破するために、使っている武器の周りにコーティングをする形で張り巡らされた、反物質を定着させる機能を持ったフィールド。
反物質を空間に安定させる技術は、比較的技術レベルが高い地球出身であるクロードをして「物理的に不可能」と断言させるほどの技術であり、ネーデの科学水準でも、少なくとも十賢者が建造された当時の時点では開発されていなかった技術である。
なお、反物質武器を製作するにあたってクロードとレナに作られた武器は、武器自体に反物質定着システムが組み込まれているため、フィールドを張り巡らせる必要が無い。それ以外のメンバーの武器は、以前から使っている武器の表面に、特殊な装置によって反物質フィールドを張り巡らせることで代用しているのである。
時空転移シールド
強大な重力場を発生させ時空間に干渉し、他の時空と相転位させることでエネルギーを空間的に遮断するシステム。一定範囲内の時の流れに干渉したり操作することも可能であり、これを利用して時間移動すら可能にする技術。
シールドとしては上記の航宙艦シールドよりも遥かに強力であるが、この技術を研究していた紋章兵器研究所が壊滅してしまったため、防御シールドとして気軽に利用するほどには実用化出来ていない様子。
崩壊紋章
空間の一点に膨大な質量を発生させることができる紋章。発生した質量の生み出す重力により全宇宙の崩壊を引き起こす危険があり、さらに一度発動すると止めることができないため、制御不可能な禁断紋章とされた。

PSP版『スターオーシャン2 Second Evolution』
『スターオーシャン セカンドストーリー』の移植版。スクウェア・エニックスが2007年5月12日・13日に幕張メッセで開催したプライベートショー「SQUARE ENIX PARTY 2007」に先立ち、報道関係者向け発表会を開催し、発表時には『スターオーシャン』のリメイク版である『スターオーシャン1 First Departure』も発売することが明かされた。なお、開発は原作を担当したトライエースではない。

『SO1FD』と同様フルボイスになり、新規プライベートアクションと新キャラクターも追加された。声優もエルネスト役の東地宏樹以外は全員変更され、十賢者全員にも声優が充てられた。

予約特典は、『スターオーシャンシリーズ』や『ヴァルキリープロファイルシリーズ』を手がけたトライエースの作品プロモーション映像に加え、シリーズの最新作『スターオーシャン4(仮)』の映像も収めたDVDである。

2009年02月07日

一色義貫・一色教親・一色時家・一色義道

一色 義貫(いっしき よしつら、1400年(応永7年) - 1440年6月14日(永享12年5月15日))は、室町時代前期の守護大名。一色満範の子。官位は兵部少輔。左京大夫。修理大夫。初名は義範。
バース むぐら ティラミス スカーレット テキーラ 吉日 メルルー ももいし 高潔 サーチ花粋 オーラップ フロア ブイヤ マデイラ シュロ コムタン 滝の白糸 西村 ネガ トール いこて ツリフネソ ミドル マインド ビッグ ラット レックス 夾竹桃 キエフ ラクーン ブルガリ チョッパー メンデル バリウ モルガ ピュアコ バグダッド ひおき マイナ トウガラシ なんぽろ ライフボート ルミッ リアダ ステロール ジャスミン 水玉シャツ ジャンボ シプル パスボール

1409年、父・満範の死により家督を継ぐ。4代将軍足利義持時代から仕え、侍所を務め、1418年、1434年には山城国の守護にも任じられ、三河国・若狭国・丹後国、そして山城の4カ国(他に尾張海東郡・知多郡分郡守護)を兼ねる有力守護大名となった。武功においても伊勢国の北畠満雅を討ち、1427年に出奔した赤松満祐の討伐においても活躍している。その功績により、四職の一人となって幕政に参与したが、6代将軍足利義教の代になると、供奉を放棄するなど次第に対立し、一時は幕政から遠ざけられた。

管領の畠山満家らの仲介もあって、義貫は再び幕政に復帰している。1440年、関東で起こった結城合戦に際して、義教の命で大和国の越智氏を討伐のために出陣する。義貫は永享の乱で幕府に対して挙兵した足利持氏の残党(一色時家等)を匿った罪を問われ、土岐持頼とともに義教から追討を受ける。武田信栄に腹背を攻められて敗北。同年5月15日、大和信貴山の竜門寺で一族と共に自害して果てた。享年41。法号は安養寺泰雲。

義貫は四ヶ国を兼ねる有力守護となり、そのために義教に警戒され、謀殺されたと言われる。また、一色氏内部でも家督をめぐり伯父である持範・甥である教親との抗争があった。一色氏の遺領地は分配され、一色氏は没落する。

一色教親
一色 教親(いっしき のりちか、応永26年(1419年) - 宝徳3年11月28日(1451年12月21日))は室町時代の守護大名である。父は足利義教の寵臣で一色義貫の弟一色持信。五郎。左京大夫。

永享12年(1440年)5月15日、一色義貫が大和で誅殺されると、翌日早朝、手勢を引き連れ、京の義貫邸を襲撃、放火した。この襲撃で義貫の家臣数十人が討死、自害している。

この功績により、一色氏の家督を継ぎ丹後・伊勢北半国の守護となる(尾張国海東郡・知多郡の分郡守護でもあった)。翌年6月24日の嘉吉の変の際は義教に供奉していたが、いち早く逃げ出し難を逃れることができた。

文安4年(1447年)から宝徳元年(1449年)の間、山城国守護及び侍所頭人を務める。 宝徳3年(1451年)11月28日急死。享年33。成就院と号された。嗣子がなかったため、一色氏の家督は義貫の嫡男一色義直が継いだ。

一色時家
一色 時家(いっしき ときいえ、? - 文明9年(1477年))は室町時代の武将である。一色長兼か一色直兼の子。刑部少輔。一色持家と同一人物か。

関東公方足利持氏に仕える。後に上総武田氏の祖となった武田信長と甲斐国猿橋(山梨県大月市)で交戦。永享の乱の際、伯父一色直兼と共に持氏方大将として戦うが、敗れて同族の一色氏を頼り海道を三河国へ向かった。

永享11年(1439年)、三河国宝飯郡宮島郷常荒(とこさぶ。常寒、常左府とも。)(愛知県豊川市牛久保町付近)に一色城(後に名を改めて牛久保城)を築城し、ここを根拠地として勢力の拡大を図る。翌年5月の征夷大将軍足利義教による一色義貫誅殺は、三河国守護でありながら、持氏残党の時家を匿ったため起こったといえる。

応仁の乱が勃発すると、他の一色氏と行動を共にし西軍に属する。文明8年(1476年)9月、東軍細川成之の三河国守護代東条国氏が三河で切腹する事件が起きるが、時家ら三河の一色勢に敗死したと思われる。

翌文明9年(1477年)、家臣と伝えられる豪族波多野全慶(俗名、時政)に殺害された。牛頭山大聖寺(同県同市牛久保町岸組)(戦国大名今川義元の胴塚の前)にある墓が時家のものといわれる(ただし、その根拠は薄弱)。

後に、この波多野全慶(時政)を同じく時家の家臣であった牧野成時(しげとき)(後の今橋城(同県豊橋市今橋町)主)が討つ。

一色義道
一色 義道(いっしき よしみち、 ? 天正7年(1579年))は戦国時代、安土桃山時代の武将・大名。丹後の大名一色氏の当主。一色義幸の子。一色義定(義俊、満信)の父。義通。式部大夫。左京大夫。

丹後の一色氏は元々室町幕府の四職の一家であったが、戦国時代には没落の一途をたどり、丹後の守護職も隣国の若狭武田家に奪われる有様で、かつての守護家の権威を利用しどうにか実効支配を続ける状態であった。

1558年、父の隠居により家督を継いだ。弟の一色義清を吉原城に送り、丹後の奥三郡の統治につとめる。

1568年、織田信長が上洛すると信長に急速に接近して親交を深め、1575年の越前一向一揆討伐にも参陣して、信長から丹後一国を安堵された。

しかし、信長が比叡山焼き討ちした比叡山の僧侶や追放した将軍・足利義昭を匿ってしまったため、信長の怒りを買って1578年から信長の命を受けた明智光秀と長岡藤孝率いる織田軍に攻められることとなる。

一時はこれを撃退したが、翌年に入ると光秀の調略に応じて義道の家臣団が次々と寝返ってしまい、長岡軍の猛攻の前に居城の建部山城も落城。但馬に逃亡を企てて、起死回生を果たすべく中山城(京都府舞鶴市中山)に身を寄せたが、城主の中山幸兵衛は既に長岡方に内応しており、行き場を失った義道は自害した。勇将として知られた子の義定と異なり、義道は領内に悪政を敷いたため人望に乏しく、そのために国人の離反を防げなかったとされている。

一色 義春
一色 義春(いっしき よしはる、文正元年(1466年) - 文明16年9月4日(1484年9月23日))は室町時代の守護大名である。一色義直の嫡男。呼び名は一色五郎。左京大夫。妻は山名教豊の娘。

文明5年(1473年)、応仁の乱の東西両軍の総帥山名宗全と細川勝元が相次いで没し、足利義尚の将軍職就任が実現すると、和睦の気運が高まり、翌文明6年(1474年)4月に山名政豊と細川政元との間で和議が成立した。一色氏ではこれまで西軍に属して戦ってきた一色義直が東軍に帰順、隠居して家督を嫡男義春に譲ることとなった。

同年閏5月、義春は応仁の乱以来、若狭武田氏・細川氏に奪われていた丹後国守護職を取り戻した。丹後では武田氏・細川氏配下の武将が所領返還を行おうとせず、合戦となったが、若狭国守護武田国信は4月に交わされた和議に参加していたため、援軍を送ることができず、同年9月、丹後に在った武田軍の主将逸見真正が自害し、一色氏の丹後での旧領回復は順調に進んだ。

文明9年(1477年)5月、幕府は北畠政郷に与えていた伊勢北半国守護職を義春に与えたため、伊勢において北畠軍と一色軍の間で合戦が起こり、北畠軍が勝利している。

文明10年(1478年)、父義直の幕府出仕が認められ、その後見を得て幕政に参与したが、文明16年(1484年)9月4日病死した。享年19。義春を信頼していた将軍義尚は、その死を悼み猿楽の興行を中止した。丹後守護には義直が再任された。


2009年01月22日

攻撃用と拾得用は課金アイテムとなっている

ペット
攻撃用、拾得用、移動用、運搬用のペットが売られている。このうち移動用と運搬用はNPC商店で売られているものと課金アイテムがあるり、攻撃用と拾得用は課金アイテムとなっている。

チャット
チャットシステムは7種類ある。ギルドやパーティー、学院システムに所属していないと会話できないものや課金アイテムを使用してできるチャットなどがある。
キネテ 紅葉の旅 菊座おり しぼり キューシ チェリー シンボル オートキプ ニース オレン よぶすま ラン タイト フォール オムレツ フーガ グマー ディム ドナルドック かみす ラビ ふじ豆 エッグ エッジボール レプラ タロッ 全国通 タウン ガーネット スイッチ デニム マハラ ロール コロンブス タスク フェーン パツ バルカン スケッチ タロー プレッピ ロッタリ メッキ しとみや スイー ロード ハドロン ゆうじょ テーベ

学院システム
高レベル帯のキャラクターが教授となって開設し、低レベル帯のプレイヤーを研修生として加入させて色々とアドバイスするシステム。研修生が卒業した場合研修生は経験値が得られるほか、教授には属性強化や印章武器が得られるポイントが付与される。また教授をサポートする助教授がある。

ポンdeキャッチ
各街にポンdeキャッチというアトラクションがあり、課金アイテムであるアトラクションチケットを使用することによりさまざまなレアアイテムを得ることができる。景品は印章武器から回復薬のセットまで様々であり、基本的に外れはない。

ネットカフェ
提携しているネットカフェでプレイする場合、経験値およびスキルのボーナスポイントがもらえたり、専用の移動手段で移動することができる。

バトルシステム
ファンタジーオデッセイ・シルクロードオンラインではプレイヤー同士の職業戦および対抗戦が行なわれている。

三項システム
シルクロードオンラインでは商人、盗賊、ハンターの3種類の職業がある。各職業はレベル20から就くことができる。職業の基本的な特徴としては以下のとおり。

商人
商人は交易所において交易アイテムを購入し、別の交易所へ運び収益および職業経験値を得る。 積荷の量よってランクがあり、ランクが高ければ高いほどNPC盗賊が多く沸く。通常交易において積荷が最低ランクかつプレイヤーのレベルが85以下の場合はPC盗賊に襲われない。また通常交易以外にも特価交易というものが存在し、1日4回決められた時間に特定の交易所にて交易品を購入することができる。特価交易は成功すると通常交易より利益は出るが、通常交易の時よりNPC盗賊が多く沸く上PC盗賊にも襲撃されるのでハンターへ護衛を依頼することが望ましい。

盗賊
盗賊は商人から交易品を奪い、盗賊村へ運び収益を得る。 またハンターを倒すことで職業経験値を得ることもできるので、交易時以外でもハンター狩りを行う盗賊もいる。盗賊村に荷物を運ぶ時専用の帰還書を使用する。盗賊村へ移動するまで5分と長いが、他の帰還書と違い動き回ることができる。また商人同様積荷の量よってランクがあり、ランクが高ければ高いほどNPCハンターが多く沸く。

ハンター
ハンターは盗賊の手から商人と積荷を守り、積荷を交易所から交易所へ運ばせることによって報酬を得る。また盗賊を倒すことで職業経験値を得ることもできるので、交易時以外でも盗賊狩りを行うハンターもいる。護衛している場合、護衛している商人のランクやレベルに関係なくハンターはPC盗賊に攻撃される。

職業における注意
いずれの職業もそれぞれの組合に加入する必要があり、加入時にゲーム内マネーを払う必要がある。また仮名をつけないと職装備を身につけることができない。職装備は街中でのみ着脱可能 、パーティーを組んでいるときは着脱不可である。なお、一度組合を退会した場合、ペナルティーとして7日間は転職または元の職業の組合に再就職することができない。 [4]

要塞戦
各地域に設置された要塞の所有権を争うギルド対抗戦。それぞれの街や砦のに要塞が設置され、ギルド単位でのPvPができる。要塞戦を行うには要塞事務官への申請する必要であり、一定のギルドレベルおよびメンバー数でないと参加できない。 要塞戦に勝利し、要塞を占領した場合はその街の交易品および次元門ワープに課税することができる。

バトルフラッグ
不定期で開催されるチーム対抗戦。試合開始前に告知が出るので各街にいるアイテム交換NPCに話しかけ参加登録する。開始時刻になるとバトルフラッグ専用のフィールドへ転移される。龍軍(青)と虎軍(赤)とに分かれ、専用の衣装をまとう。また相手チームとのバランスが取れるよう、それぞれのレベル帯に振り分けられる。試合時間は20分。試合終了後に自陣に旗が刺さっていれば勝利となる。どちらの陣にも旗が刺さっていなければ引き分けとなる。バトルに勝利すると1分間その場に留まり、その後勝利チーム専用の景品がもらえる。

装備
大まかに武器、防具、装飾品の3種類がある。武器は中国用として5種類、ヨーロッパ用として9種類ある。防具は中国・ヨーロッパ用としてそれぞれ3種類あり、このうち1種類の着用が可能である[5]装飾品首・耳・指のは3種類があり、首・耳には1つずつ、指には2つの装飾品が着用可能である。但し中国キャラクターがヨーロッパ用装備品を、ヨーロッパキャラクターが中国用装備品を着用するといったことはできない。また、武器はステータスやスキルに反映されるので注意が必要である。いずれの武器に印章(ユニーク)品があり、武器に関しては専用のエフェクトが用意されている。

通常防具以外に装飾用としてアバターが提供されている。中国・EUキャラクターの区別に関係なく着用が可能である。2007年12月20日以前に課金アイテムとして売られていた帽子やイベント用の非売品として提供されていたサンタグッズなどただの飾りとして提供されていた旧アバター、アップデート後に課金アイテムとして提供されるようになった衣装・帽子・付属物で魔法属性やオプションの付与が可能になったものを新アバターがある。旧アバターは現在売られてはいないが着用自体は可能である。但しイベント用の非売品に関しては中国キャラクターのみの着用制限がある。

エリアマップ
大きく分けて中国エリア、ヨーロッパエリア、アラビアエリア、ダンジョンエリアが存在する。

中国エリア
長安
長安は中国キャラクターのスタート地点であり、ここから西へと旅をすることになる。ここを基点として、東側は秦始皇陵で行き止まりとなっている。西側は虎が大量に生息する虎穴山があり、またその南には盗賊団のアジトである飛賊團の砦がある。虎穴山の北西にある2箇所の黄河渡口から船を使い、敦煌へ行くことができる。

敦煌
黄河を渡ると緑の生い茂っていた長安から一変し、草木の殆ど生えない荒地が広がる。中継点である敦煌の街へはかつて強大な力を誇っていたが、現在は妖怪やゾンビとなってしまった匈奴の郷土を越えなければならない。また敦煌の南側は峡谷となっており、妖術や爆弾を使う土鬼という妖怪をかわしながら狭い道を通過する必要がある。

オアシス王国東部
敦煌を西へ抜けるとゴビ砂漠が広がる。そこから北西へ進むと敦煌石窟、南へ進むとタリム盆地がある。タリム盆地には光の当たらない死の渓谷と、盗賊団のアジトである黒漠團の巣窟との2つの道がある。死の渓谷はホタンへ向かうための近道になるが、強力なモンスターが大量に湧く。一方黒漠團の巣窟は遠回りにはなるがモンスターの湧きは死の渓谷ほどではない。タリム盆地を西へ越えるとタリム渡口があり、そこからオアシス王国へ行くことができる。

ヨーロッパエリア
東ヨーロッパ
コンスタンティノープルはヨーロッパキャラクターのスタート地点であであり、ここから東へと旅をすることになる。ここを基点として東側はマルマラ海、西側には深い森、南側には神殿や金色に光るリンゴの木がある。リンゴの木の南側に東ヨーロッパの船着場があり、そこからアナトリア半島、つまり小アジアへ行くことができる。

小アジア
船着場付近はトロイの木馬の残骸が残る砂浜となっており、カニに似たモンスターや海賊が徘徊している。砂浜を越えると東にはアララト山がそびえ立ち、カパドキアや小アジアに封印された堕落天使セニヘルの手下となったイビルオーダーたちの要塞がある。それらを越えるとアナトリア高原が広がる。その北には円形劇場があり、その周辺はケンタウロスに似たモンスターが多く徘徊している。南東にはロック山へ向かうための渡航船乗り場が、北東には中央アジアへ向かうための吊り橋がある。

中央アジア
吊り橋を北東へ進むとサマルカンドの街がある。街の周囲はこの世界一速いと思われる魔鳥が群れを成し、その南には蜂の生息地がある。また東にはパミール高原が広がり、フン族の領地や猩猩、ゴーレムの徘徊する土地となっている。南東にはロック山へ向かうための渡航船乗り場が、東にはタクラマカンへ向かうためのトンネルがある。

2009年01月15日

雪女(ゆきおんな)

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雪女(ゆきおんな)は、雪の妖怪。「ユキムスメ」、「ユキオナゴ」、「ユキジョロウ(雪女郎)」、「ユキアネサ」、「雪オンバ」、「雪ンバ」(愛媛)、「雪降り婆」(長野)とも呼ばれる[1]。「ツララオンナ」、「カネコリムスメ」「シガマニョウボウ」など、つららに結びつけて呼ばれることも多い。

雪女の起源は古く、室町時代末期の連歌師・宗祇法師による『宗祇諸国物語』には、法師が越後国(現・新潟県)に滞在していたときに雪女を見たと記述があることから、室町時代には既に伝承があったことがわかる[2]。

雪女は『宗祇諸国物語』をもとにしたラフカディオ・ハーン(小泉八雲)の『怪談』「雪女」の様に、美しい女性として語られることが多く、雪の性質からはかなさを連想させ、類人猿の姿をしている雪男とは対照的である。雪女が女(メス)であるのに対し、雪男は性別不明である。雪女が雪と深い関係があるのに対し、雪男は単に雪の多い所に棲むだけである。

逸話
伝承では、新潟県小千谷地方では、男のところに美しい女が訪ね、女は自ら望んで男の嫁になるが、嫁の嫌がるのを無理にふろに入れると姿がなくなり、男が切り落とした細い氷柱の欠片だけが浮いていたという。青森県や山形県にも同様の話があり「しがま女房」などと呼ばれる[1]。山形県上山地方の雪女は、雪の夜に老夫婦のもとを訪ね、囲炉裏の火にあたらせてもらうが、夜更けにまた旅に出ようとするので、翁が娘の手をとって押し止めようとすると、ぞっとするほど冷たい。と、見る間に娘は雪煙となって、煙出しから出ていったという。また、姑獲鳥との接点も持っており、吹雪の晩に子供を抱いて立ち、通る人間に子を抱いてくれと頼む話が伝えられる。その子を抱くと、(子泣き爺のように)子がどんどん重くなり、人は雪に埋もれて凍死するという。頼みを断わると、雪の谷に突き落とされるとも伝えられる。弘前では、ある武士が同様に雪女に子供を抱くよう頼まれたが、短刀を口に咥えて子供の頭の近くに刃がくるようにして抱いたところ、この怪異を逃れることができ、武士が子供を雪女に返すと、雪女は子供を抱いてくれたお礼といって数々の宝物をくれたという[3]。抱きおおせた者は怪力を得るともいう[2]。

長野県伊那地方では、雪女を「ユキオンバ」と呼び、雪の降る夜に山姥の姿であらわれると信じられている。同様に、愛媛県吉田では、雪の積もった夜に「ユキンバ」が出ると言って、子供を屋外に出さない様にする。また、岩手県遠野地方では、小正月の1月15日、または谷の満月の夜には、雪女が多くの童子をつれて野に出て遊ぶので、子供の外出を戒めるという。この様に、雪女を山姥と同じものとして扱うところも多く、多くの童子を連れるという多産の性質も、山姥のそれに類似している。和歌山県伊都地方では、雪の降り積む夜には1本足の子どもが飛び歩くので、翌朝に円形の足跡が残っているといい、これを「ユキンボウ」と言うが、1本足の童子は山神の使いとされている。鳥取県東伯郡小鹿村の雪女は、淡雪に乗って現れる時に、「氷ごせ湯ごせ」と言いながら白幣を振り、水をかけると膨れ、湯をかけると消えるという。奈良県吉野郡十津川の流域でいう「オシロイバアサン」、「オシロイババア」も雪女の一種と思われ、鏡をジャラジャラ引きずってくるという。これらの白幣を振るという動作や、鏡を持つという姿は、生産と豊穣を司る山神に仕える巫女としての性格の名残であると考えられる。実際に青森では、雪女が正月三日に里に降り、最初の卯の日に山に帰ると云われ、卯の日の遅い年は作柄が変わるとされていた。

岩手県や宮城県の伝承では、雪女は人間の精気を奪うとされ、新潟県では子供の生き肝を抜き取る、人間を凍死させるなどといわれる。秋田県西馬音内では、雪女の顔を見たり言葉を交わしたりすると食い殺されるという。逆に茨城県や福島県磐城地方では、雪女の呼びかけに対して返事をしないと谷底へ突き落とされるという[2][3]。福井県でも越娘(こしむすめ)といって、やはり呼びかけに対して背を向けた者を谷へ落とすという[4]。

岐阜県揖斐郡揖斐川町では、ユキノドウという目に見えない怪物が雪女に姿を変えて現れるという。山小屋に現れて「水をくれ」と言うが、求めに応じて水を与えると殺されてしまうので、熱いお茶を出すべきとされる。またこのユキノドウを追い払うには「先クロモジに後ボーシ、締めつけ履いたら、如何なるものも、かのうまい」と唱えると良いという[2]。

正月元旦に人間界に雪女が来て帰っていく青森県弘前市の伝承や岩手県遠野市の、小正月または冬の満月の日に雪女が多くの子を連れて遊ぶという伝承から見ても、このような人間界を訪れる日から雪女の歳神(としがみ)的性格を窺うことができる。吹雪の晩に雪女を親切にもてなしたところ、翌朝、雪女は黄金と化していたという、「大歳の客」系の昔話の存在も雪女の歳神的性格と無縁ではない[5]。

雪女は子供をつれて出現する事も多い。同じような子連れの妖怪、産女(うぶめ)の伝承とも通い合う。山形県最上郡では産女を雪女だと伝えている[5]。

小泉八雲の「雪おんな」のように、山の猟師は泊り客の女と結婚し子供が生まれ、うっかり雪女とのタブーを口にしたため、女は自分は雪女だと伝え姿を消すタイプの昔話のパターンは新潟県、富山県、長野県に伝承があり、その発端は山の禁(タブー)を破ったために山の精霊に殺されるという山人の怪異譚に多い。雪女の伝説は、山人の怪異譚と雪女の怪異譚の複合により生まれたとする説もある[5]。

雪女の昔話はほとんどが哀れな話であり、子のない老夫婦、山里で独り者の男、そういう人生で侘しい者が、吹雪の戸を叩く音から、自分が待ち望む者が来たのではと幻想する事から始まったといえる。そして、その待ち望んだものと一緒に暮らす幸せを雪のように儚く幻想した話だという。それと同時に畏怖の感覚もあり、『遠野物語』にもあるように吹雪が外障子を叩く音を「障子さすり」と言い、雪女が障子を撫でていると遅寝の子を早く眠らす習俗もある。障子さすりのようなリアルな物言いにより、待ち望むものの訪れと恐怖とは背中合わせの関係であるといえる。また冬などの季節は神々の訪れであり、讃めなければひどいことになりかねず、待ち望むといってもあまり信用してはならない。なんにせよ季節の去来と関係した話といえる。風の又三郎などとも何処かで繋がるのではないかと、国文学者・古橋信孝は述べている[1]。

雪女の正体は雪の精、雪の中で行き倒れになった女の霊などと様々な伝承がある。山形県小国地方の説話では、雪女郎(雪女)は元は月世界の姫であり、退屈な生活から抜け出すために雪と共に地上に降りてきたが、月へ帰れなくなったため、雪の降る月夜に現れるとされる[2][3]。

江戸時代の知識人・山岡元隣は雪女は雪から生まれるという。物が多く積もれば必ずその中に生物を生ずるのが道理であり、水が深ければ魚、林が茂れば鳥を生ずる。雪も陰、女も陰であるから、越後などでは深い雪の中に雪女を生ずることもあるかも知れぬといっている[6]。

日本の伝統文化の中で、雪女は幸若の『伏見常磐』などに見られ、近世には確認できる。近松門左衛門の「雪女五枚羽子板」がありだまされ惨殺された女が雪女となり復讐する話である。雪女の妖艶で凄惨な感じがうまく使われている。昔話・伝承では青森、山形、秋田、岩手、福島、新潟、長野、和歌山、愛媛などで確認されている